꽝! KKWANG!

日時:2025年2月22日(土)-3月8日(土)
会場:eureka

https://eurekafukuoka.com/2308/

© 2025 EUREKA

昨年、佐賀県有田町で開催した個展「大村焼」以降、私は自分が置かれた「境界線」や「複雑な状況」をどのよ うに描き、表現できるのかを考えてきました。
私が言う「大村」は、単なる地理的な場所ではなく、概念的な場でもあります。
1950年12月、「不法入国者」とされた韓国・朝鮮人を本国へ強制送還するための大村入国者収容所(現・大村入 国管理センター)が長崎県大村市に設置されました。そこに収容されたのは、日本の植民地支配の余波を受けた 「朝鮮人不法入国者」や刑余者でした。植民地期に「日本国民」だった旧植民地出身者は、サンフランシスコ講 和条約発効まで「日本国籍」を有する内なる外部として、複雑で不安定な法的地位に置かれました。朝鮮半島南 北分裂後、「密航者」の管理は共産主義への脅威としてより強化され、収容所内でも北を支持するか、南を支持 するかで分断していたと言われています。
この大村周辺一帯は古くから「放虎原(ほうこばる)」とも呼ばれました。文禄・慶長の役の際、朝鮮半島から 持ち帰った虎を放ったことからこの名がついたと伝えられています。もちろん、実際に虎が放たれたという記録 はなく、伝説の域を出ません。しかし、朝鮮から連れてこられた虎を放った場所に、後に朝鮮人収容所が作られ たという事実には、想像力をかき立てられます。
また、大村だけでなく、朝鮮半島からの人の移動は他の地域にも影響を与えました。その一例が、大村に近い佐 賀県有田町です。有田町は、日本を代表する窯業地のひとつであり、文禄・慶長の役で朝鮮半島から連れてこら れた陶工たちによって、陶磁器産業が発展しました。有田焼の始まりは、朝鮮人陶工・李参平によるもので、現 在、彼は有田にある陶山神社に祀られています。こうした歴史を通じて、大村と有田はどちらも民族や地域を越 えた移動と文化の交差点となってきたのです。
私は、大村を民族や地域を越境する多様な人々が混在した具体的な場所であると同時に、現在に至るまで作用す る「境界線」を探る概念的な場所であると考えています。その観点から、日本生まれの私が韓国軍の徴兵対象と なる問題と接続し、大村と向き合っています。
前回の個展は、「朝鮮と日本」という大きな歴史と、自分という小さな歴史を行き来しながら、その関係を広く 捉えようとした展示でした。本展では、さらに「境界線」に焦点を当て、その曖昧さや衝突をどのように表現で きるかを探ります。
本展のタイトル《꽝(クァン)》は、韓国語の擬音語・擬態語です。主に物が強くぶつかったり、爆発したりする 大きな音を表します。私が位置する「境界線」は、二つ以上のものが衝突する狭間であり、そこにはまさに 「クァン」という音が響いているのではないかと思い、この言葉を選びました。また、「꽝」には「ハズレ」を 意味する使い方もあります。自身のアイデンティティや複雑な状況と向き合うことは、まるでハズレくじを引い たようなものだと感じることがあります。それはネガティブにも聞こえますが、場違いであること、ハズレを引 いたこと自体が、考え続け、技術を学び、どのようにアプローチするかを模索するきっかけになるのではないで しょうか。
境界線は、はっきりとしたもののようでいて、実際には曖昧で揺れ動くものです。内と外の区別は時に恣意的で あり、立場によっても変わります。私は、そんな曖昧な境界の中に身を置いていると感じることがあります。 境界に向き合うことは、明確な答えがあるわけではなく、常に「まどろっこしさ」を伴います。しかし、その中 でこそ、新たな視点を探し、問いを立てることができるのではないかと思います。
美術もまた、明快な答えを示すのではなく、曖昧さや余白を内包するものです。だからこそ、私はこの手段を選 びました。 鑑賞者は、私の視点や思考が作り出した空間に身を置くことで、新たな感覚や思考と出会うことができるかもし れません。
明確な結論を求めるのではなく、曖昧さとともに考え続けること。
その「まどろっこしさ」の中にこそ、私は希望を感じています。
今回の展示が、みなさんにとって日常や既知のものを異なる視点で認識するきっかけになれば幸いです。

2025.02.21 チョン・ユギョン

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